ばけばけの時代は新聞をみんな読んでた?明治の識字率・新聞価格・回し読みのリアル

明治20年代、新聞を囲んで集まる人々 「一枚の新聞が町の空気を動かす」瞬間 ばけばけ

ばけばけの時代、新聞はみんな読んでた?文字と情報の広がり方を深掘り

朝ドラ『ばけばけ』の中では、新聞が「空気を変えるほどの影響力」を持っているように描かれます。誰かが新聞を開くと、周囲の人が身を乗り出し、町の話題が一気に動く。あれはドラマ的な演出なのでしょうか。

結論から言うと、「全国民が一人で新聞を読めた」わけではありません。ただし、明治20年代(明治20〜25年/1887〜1892年ごろ)には、都市部を中心に新聞が世論や生活判断の基準になっていたのも事実です。

テレビもラジオもない時代、情報の入口は極端に限られていました。だからこそ、新聞の一行は、今よりもはるかに重い意味を持っていたのです。

事実整理

明治20年代(1887〜1892年)は「読める人が増え、新聞が日常に入り込んだ時代」。
ただし新聞は一人一部ではなく、回し読み音読によって共有されていた。

文字はいつから「みんなが読める」に近づいたのか

「日本人が文字を読めるようになったのは明治から」というイメージは半分正しく、半分違います。実は基礎は江戸時代にすでに整い、明治期に制度として一気に広がりました。

江戸時代後期(〜1868年)にあった読み書きの土台

江戸後期(18世紀後半〜19世紀半ば)には、町人文化の中で文字が日常に根付いていました。商人は帳簿を付け、手紙を書き、寺子屋では往来物と呼ばれる教材で読み書きを学びます。

都市部や街道筋では、男性を中心にひらがなと基本的な漢字を読める層がすでに存在していました。ただし農村部では必要性が低く、女性は教育機会が限られるなど、地域差・性差は大きい状況でした。

明治初期(明治5年/1872年〜)の学制が起こした変化

明治5年(1872年)の学制発布により、全国に小学校が設置されます。ここで重要なのは、読み書きが「できる人だけの技能」から「国民に求められる共通能力」へと位置づけられた点です。

ただし明治10年代(1877〜1886年)までは就学率にばらつきがあり、家庭の事情で学校に通えない子どもも少なくありませんでした。

時代感の目安(和暦+西暦)
  • 江戸後期(〜1868年):読み書きの基礎は広く存在
  • 明治初期(明治5〜15年/1872〜1882年):制度化は進むが地域差あり
  • 明治中期(明治20年前後/1887年前後):新聞読者層が都市部で拡大
  • 明治後期〜大正初期(1900年前後〜):識字が国民レベルで一般化

ばけばけの時代、新聞を「自分で読む人」はどのくらい

明治20年代(1887〜1892年)には、新聞を自分で読む人は確実に増えています。ただし、その中心は都市部に集中していました。

  • 官吏・役人
  • 教師・知識人
  • 商人・資産家
  • 都市部の店主・職人

『ばけばけ』の舞台は、こうした人々が集まる場所です。新聞の影響力が強く描かれるのは、かなり現実に即しています。

新聞の値段はいくらだったのか

新聞の影響力を理解するには、当時の価格を知ることが欠かせません。

明治20年代(1887〜1892年)の新聞価格

  • 一部売り:1〜2銭前後
  • 月極購読:30〜40銭前後

当時の日雇い賃金は1日20〜30銭程度とされます。つまり新聞は、「毎日買うと決して安くない」存在でした。

当時の新聞価格を、今の感覚に直すと

ここが現代視点で重要なポイントです。

明治期の1銭は、換算方法によって差がありますが、一般的な物価・賃金比較では、現在の数百円程度に相当すると考えられています。

  • 新聞1部(1〜2銭) → 現在の感覚で数百円〜1,000円前後
  • 月極購読(30〜40銭) → 現在の感覚で1万円前後
感覚の置き換え

明治の新聞は、
「無料でスマホを見る」感覚ではありません。
むしろ毎月1万円近い情報サービスを契約している感覚に近い存在でした。

この価格感を踏まえると、「新聞を買える人」「毎日読める人」が限られていた理由が、よりはっきり見えてきます。

それでも新聞が町に広がった理由

新聞は高価でしたが、その情報は閉じたものではありませんでした。

回し読み・音読・貼り出し

新聞を購読する家や店が、情報の拠点になります。読める人が内容を要約し、読めない人に伝える。重要な情報は掲示され、町全体へと拡散していきました。

事実整理

明治の情報流通は「一人一部」ではなく、
一部を何人もで共有する仕組みによって成り立っていた。

女性と新聞

明治20年代(1887〜1892年)では、女性が自分で新聞を購読する例はまだ多くありません。しかし、家庭内や近所付き合いを通じて、新聞由来の情報には日常的に触れていました。

新聞は、購読者本人だけでなく、家族や周囲の価値観にも影響を与えるメディアだったのです。

ばけばけの描写は誇張なのか

結論として、『ばけばけ』の新聞描写は誇張ではありません。明治20年代(1887〜1892年)の都市部では、新聞は確かに「社会の声」でした

全員が読めたわけではありませんが、読める人・買える人を通じて、新聞は町全体を動かしていました。ドラマは、その現象が最も濃く現れる場所を切り取って描いているのです。

まとめ

明治20年代(1887〜1892年)、新聞は高価でありながら、社会に強い影響力を持っていた。
現代の感覚では「月1万円近い情報サービス」。
だからこそ新聞は信頼され、共有され、人生や町の空気を左右した。

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