ばけばけに描かれる人力車通勤|明治23年(1890年)の移動手段と松江・東京の違い

明治時代の日本における移動手段を表したイラスト。中央に赤い座席の人力車と車夫、背景に蒸気機関車と蒸気船が描かれ、近代化が進む時代の交通の変化を表現している。 ばけばけ

ばけばけに描かれる人力車通勤

歴史背景解説

朝ドラ ばけばけ の物語は、
明治23年(1890年)前後の松江を主な舞台として描かれています。
作中には、人力車で通勤する場面が登場しますが、
これは当時の移動手段や経済感覚を理解するうえで、とても重要な描写です。

明治23年(1890年)ごろ、人々はどのように移動していたのでしょうか。

結論を先に

明治23年(1890年)当時、日常の移動手段の基本は徒歩でした。
人力車は便利でしたが、日常的に使えるのは限られた層に限られていました。
また、松江にはまだ汽車(鉄道)は通っていません。


明治23年(1890年)前後の主な移動手段

当時の移動手段
  • 徒歩(下駄・草履):庶民の基本
  • 人力車:中流以上が利用
  • 駕籠:上流階層向け(この頃には減少)
  • 汽車:都市間の長距離移動用

現代のような公共交通網は存在せず、
「歩くこと」が生活の前提でした。
人力車は、時間や体力を節約するための高価な選択肢だったのです。


松江の移動事情|汽車はまだなかった

物語の舞台である松江は、城下町として整備された地方都市でしたが、
明治23年(1890年)時点では鉄道は通っていません

松江での移動の現実
  • 町内移動は徒歩が中心
  • 道路は未舗装で、雨や雪の日は大きな負担
  • 人力車は存在するが、日常使いは少数派

松江で人力車を使うという行為は、
単なる移動ではなく、
「生活に余裕があることを示すサイン」
でもありました。


東京など都市部の移動手段

一方、東京では事情が異なります。
人口が多く移動距離も長いため、
人力車は実用的な都市交通として定着していました。

都市部の特徴
  • 人力車の台数が多い
  • 官庁街・駅周辺に常時待機
  • 徒歩と併用される移動手段

都市部では、人力車は特別な存在ではなく、
時間を買うための現実的な選択肢
として使われていました。


人力車の料金はいくらだったのか

料金の目安(明治23年/1890年頃)
  • 短距離:20〜30銭
  • やや長距離:40〜50銭

当時の1円は、現在の価値で
数万円程度とされます。
人力車1回分は、現代で言えば
数千円〜1万円近い感覚でした。

重要な点

毎日の通勤に人力車を使うことは、
庶民にとって現実的な選択ではなかった
ことが分かります。


長距離移動は汽車|どこまで行けたのか

明治23年(1890年)当時、汽車はすでに存在していましたが、
全国を自由に移動できる状態ではありませんでした。

当時の主な鉄道路線
  • 東京〜横浜(東海道線の前身)
  • 東京〜大阪・神戸(区間ごとに開通)
  • 大阪〜京都〜神戸
  • 山陰地方(松江周辺):未開通

松江から長距離移動をする場合、
港まで出て船を使うなど、
移動そのものが一大行事
だったのです。


その後の移動手段はいつ一般化したのか

時代ごとの変化
移動手段 一般化の目安 補足
自転車 明治30年代(1897年以降) 当初は高級品
オートバイ 大正末〜昭和初期(1920年代) 都市部中心
自動車 昭和30年代(1950年代) 一般家庭に普及

ばけばけの時代は、
自転車すらまだ一般的ではない
移動環境だったのです。


まとめ|人力車通勤が示す明治の距離感

要点まとめ
  • 明治23年(1890年)の移動の基本は徒歩
  • 松江にはまだ汽車がなかった
  • 人力車は高価で、余裕のある層の移動手段
  • 長距離移動は都市部中心の汽車か船

ばけばけに描かれる人力車通勤は、
明治の人々が感じていた
「距離・時間・お金」
の感覚を、現代に伝える重要な手がかりと言えるでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました